「絵里香は絶対大丈夫!」母の言葉のおかげで、留学にも事業立ち上げにも挑戦できた

未来VOICE
2024.07.24

未来VOICEシリーズは、連載のインタビュー記事です。インタビューの対象は学歴・経歴不問、「好きなことを大切に」「今をイキイキと生きている」「若者」の3つに当てはまる人。そんなみなさんの今と子ども時代をひもとくことで、これからの教育を考えるヒントにしませんか?

第5弾インタビューはこの方!

信田絵里香

新潟県南魚沼市出身。大学は柳井正財団1期生としてUniversity of California, Santa Barbaraに留学し、コミュニケーション学を専攻、副専攻として演劇・教育・ビジネスマネジメントを学ぶ。卒業後は、新潟県南魚沼市で、ファーストリテイリング財団からの支援のもと、教育の新規事業を立ち上げる。現在は、事業を続けながら人材育成を事業とする会社で働いている。

留学で学んだ自己分析の重要性を広めたい

ー現在、お仕事はどんなことをされていますか?

本業としては、企業向けに研修やコーチングを行う人材育成の会社に勤務しています。仕事内容をひと言でいうと、チームビルディングやコミュニケーション育成のお手伝いなどです。具体的には、企業で働く方々に自己分析のやり方をお伝えし、自分の強みや弱みを知ってもらう研修をしたり、相手に歩み寄るコミュニケーションや多様性を考えるワークショップを行なったりしています。

副業としては、大学時代に立ち上げた中高生向けの教育プログラムを続けています。これは大学を卒業する頃、ファーストリテイリング財団(ユニクロの元社長である柳井正さんが理事長を務める財団)から「地方の教育プログラムをあなたの地元・南魚沼市で立ち上げませんか?」と声をかけていただいたのがきっかけです。

ほかにも、留学を考えている高校生のサポートや、留学した経験を就職に活かしたいと考えている大学生のキャリア支援も行なっています。最近は歌の仕事も時々していますね。こうやって挙げてみると、われながらいろいろなことをやっているなと思います(笑)。

ー副業の「中高生向け教育事業」について、詳しく教えていただけますか?

半年間のプログラムで、最初の2ヶ月は徹底的に自己分析をします。その後、自分のやりたいことに近いことをやっている大人に会ってみたり、今の自分にできることは何かを考えたりして、最終的には自分でもできることを実践してみるという流れです。このプログラムを始めたきっかけは、私自身が経験した海外大学の受験です。

アメリカの大学受験では、徹底的な自己分析が必要でした。自分は何が好きなのか、何をやりたいのか、それはなぜなのか、徹底的に自分と向き合いました。それらを通して、自分を知ることの重要性に気付いたと同時に、日本の中高生には、自分について考える機会が少ないと感じました。実際、日本の大学受験生に「大学入学後は何がしたいの?」と聞いても「とりあえず入れればいい」「卒業できればいい」と答える学生が多いんです。

そうした自分の経験から、「中高生のうちから自分について考えるクセをつけること」「今の自分にできることを考えて行動に移し、小さな成功体験を味わうこと」が大切だと思い、事業を立ち上げることにしました。

ファーストリテイリング財団からは、「あなたの地元の学生を対象にした、主体的な教育プログラムを」というテーマだけいただいて、あとは好きなようにやらせてもらえたので、立ち上げ仲間と協力しながら自分の思いを実現出来たと思います。現在は、南魚沼市の事業として認定していただいており、4年間で、南魚沼市周辺に住んでいる120人くらいの中高生を支援し、60人くらいの大学生メンターを育成しました。

好きなことを好きと堂々と言える居場所を作りたい

ーどんなことにやりがいを感じたり、楽しいと感じますか?

子どもたちが「え!やっていいの!?」「そんなことできるの!?」と目をキラキラ輝かせる瞬間に立ち会えたときに、やりがいを感じますね。「自分の好きなことがわからない」「将来やりたいことがわからない」という子は大勢いますが、彼らに「これまでワクワクした瞬間」を聞くと、何かしらあるんですよね。その「ワクワク」をまず認めてあげて、それに似たことをやっている人を紹介したり、「あなたもできるし、やっていいんだよ」と伝えたりすると、彼らは驚きや喜びとともに明らかに態度や姿勢が変わるんです。その変化を目の当たりにできるのが、すごく楽しくて嬉しいです。

たとえば、質問をしてもあまり答えが返ってこない無口な中1の男の子がいたのですが、ある日、彼は絵を描くのが得意だと分かり、「今日の気持ちを絵に描いてみて」とリクエストしたんです。すると、さささーっと絵を描いてくれて、「なんでこの色を使ったの?」「なんでこの絵なの?」と絵に関する質問をすると、すぐに答えてくれました。彼は、インスピレーションを受けてそれを抽象画にするのがとても得意だったんです。プログラムを進めるうちに、彼は街のお店や場所の絵を描いてプレゼントする活動を自主的に始めました。最終的に「自分の絵を街探検の1つにしたい」と、やりたいことを自分で見つけて実現したんです。

ーこの仕事をしたいと思ったきっかけは何ですか?

私自身、自分はこれが好き!となかなか言い出せない幼少期を過ごしていたので、地元の中高生たちが、好きなことを好きと堂々と言える居場所を作りたい、と思いました。子どもたちの「好き」は隠れていて、見つかっていないだけということも多いので、それぞれの「好き」を発見する方法を伝えたとも思いました。

ミュージカルが好き、英語は得意だけど大嫌いだった子ども時代

ー子どものころはどんな子でしたか?得意なことや好きなことは?

私の母はアメリカ人なのですが、中学生くらいまでは自分がハーフであること、母がアメリカ人であることが私のコンプレックスでした。ハーフだから、英語の授業では「いいよね、英語ができて」「先生にひいきされている」などと言われ、ミュージカルが好きなことも「目立とうとしている」と言われることもあったので、人と違うことはしないようにと、気を遣いまくっていました(授業では目立たないように自分から手を挙げなかったり、持ち物は自分の好きなものではなく、ほかの人が持っているものと限りなく近いものを選んだり…)。だから、英語は得意だけれど、英語のせいで自分がますます浮いた存在になってしまうような気がして、英語が大嫌いだったんです。

ー嫌いな英語を使う留学をしたのはどういった心境の変化でしたか?

思春期が過ぎ、高校生になって「私はなんてもったいない、くだらないことをしたんだろう」と後悔したんです。母がアメリカ人というのは、本来ならアドバンテージなはずが、自分でそれをディスアドバンテージにしていたと気付いたからです。そこで改めて英語を勉強し直したい、今まで避けてきた母の母国であるアメリカの文化を学びたいと思ったのが、留学を考えたきっかけでした。

コミュニケーションと演劇、教育を学びたい!自分の意思を貫いた高校時代

ー留学がより具体的になった経緯を教えてください

アメリカ留学を念頭に置いて、私は何を学びたいのか考えたとき、まず学びたいと思ったのはコミュニケーション学でした。というのも、私は小・中・高とミュージカルを続けてきて、特に高校生のときは舞台でどんなふうにセリフを言えば相手やお客さんに伝わるのかを考える訓練をたくさんしてきました。一方、日常という場では、伝え方や話し方、相手の反応について考えることが全然無いなと思ったんです。本来、人とよい関係性を築くためのコミュニケーションは、日常でこそ大切なはずなのに、と思うようになりました。

そんな理由で、私は日常におけるコミュニケーションが学べるコミュニケーション学を勉強したいと思ったのですが、日本でコミュニケーション学というと、異文化コミュニケーションが多く、私が学びたいコミュニケーション学とは違いました。また、コミュニケーション学と並行して演劇や教育も学びたいと思っていましたが、日本で演劇を学ぶとなると、選択肢が限られており、同時にあれもこれも学ぶというのが、私がリサーチした限りでは現実的ではありませんでした。そこで、二重専攻や副専攻としていろいろと学べる海外大学で、コミュニケーション学も演劇も教育も学びたい!と思うようになりました。

ー周囲から反対されませんでしたか?

学校の先生からは、「あなたの成績なら国公立大に行けるのに」「留学したいなら、ひとまずミュージカルは辞めて勉強に専念したほうがよいのでは?」と言われたりしました。最初は戸惑ったり反抗的な態度を取ったりしましたが、先生がなぜ反対するのか冷静に考えると、私を失敗させたくないという気持ちに加え、海外留学の前例がなく、サポートの仕方がわからないからではないか、と思うようになりました。そこで、先生に「こういうサポートをしてほしい」と具体的にお願いしたり、演劇の舞台に招待して自分にとってのミュージカルの大切さを伝えたりしました。そんなこんなで、最終的には高校の先生全員が私の留学を応援してくれるようになりました。

「成功するから大丈夫」「失敗しても大丈夫」。自己肯定感を上げ続けてくれた母の存在

ーご両親の教育方針はどのようなものでしたか?

楽観派の母と現実派の父ですが、両親とも私をたくさん褒めて、たくさんサポートしてくれました。両親ともに、「こうしなさい」という1つの選択肢ではなく、「これとこれがあるけど、どう?」と選択肢を出してくれて、一緒に考えたり情報を集めたりしてくれました

母はひたすら寄り添い、励ましてくれるタイプで、「絵里香は成功するから大丈夫」「絵里香のやりたいようにやって大丈夫」「失敗しても大丈夫」などと言い続けてくれました。こうした母の超肯定的な「大丈夫」のおかげで、私の自己肯定感はずっと高いままでいられて、母の存在と言葉があったからこそ、私はどんなときでも「挑戦してみよう」と思えました

また、母の教育方針として「その質問を思いついたということは、質問の答えを受け入れる心の準備ができている」と考えていたようです。だからか、母にはなんでも聞けましたし、相談できました。遠慮も隠し事もない関係性を母と築けたのは、私にとって幸運なことでした。

ー子どものころの関わり合いで、ご両親に感謝していること・今だから言えることはありますか?

特に中学生くらいのとき、母には本当にひどいことを言ってしまい、今でも申し訳なく思ってます。そんなときでも私を信じ続けてくれて、褒めて、励ましてくれたことに、とっても感謝しています。

昔は「自分が一人っ子で嫌だ」とよく思っていましたが、振り返れば、一人っ子だからこそできた経験がいろいろあったと思います。やりたいことをいつでも全力で応援してくれて、いろいろな経験をさせてくれたお父さん、お母さんありがとう、大好き、と強く思いますね。

インタビューを終えて

太陽のように明るく優しいお人柄が画面越しでも伝わり、とても和やかな雰囲気でオンラインインタビューを進めることができました。周りといかに合わせるかということに気を遣っていた中学生時代から、海外留学や事業の立ち上げという、どちらかというと人とは違うことに挑戦してきた信田さん。自分がやりたいことに素直に挑戦できたのは、いつも寄り添って応援してくれるご両親と、お守りのように信田さんを守ってくれるお母さまの言葉があったからこそなんだと感じました。貴重なお話をありがとうございました!

Written by Misaki Tokuta

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