世界をつなぐ原動力は、他者への「愛」と「人へのとてつもない関心」。心やさしき20歳のCEOは、どんな少年だったのか?
未来VOICEシリーズは、連載のインタビュー記事です。インタビューの対象は学歴・経歴不問、「好きなことを大切に」「今をイキイキと生きている」「若者」の3つに当てはまる人。そんな皆さんの今と子ども時代をひもとくことで、これからの教育を考えるヒントにしませんか?
第6弾インタビューはこの方!
山口 由人(やまぐち ゆうじん)
2004年生まれ、ドイツで幼少期を過ごし、中学1年生の夏に帰国。2020年、一般社団法人Sustainable Gameを設立。現在はグローバル人材向けのプラットフォームを運営する株式会社Emunitas の代表取締役CEO。立命館アジア太平洋大学サステナビリティ観光学部在学(休学中)。
2023年、19歳で株式会社Emunitasを立ち上げる
ー現在、お仕事はどんなことをされていますか?
日本に住むハイスキルのグローバル若手人材と、その採用支援を受け入れる企業のマッチングプラットフォームを運営しています。特に企業は外国籍人材のバックグラウンドやスキルが分からないとなかなか採用に踏み切れないので、試用期間を設けて当社でアセスメントを行い、企業に人材の能力を把握してもらうんです。その結果、企業は安心して雇用できますし、外国籍の皆さんも自分の力を存分に発揮できるという訳です。
今後の夢は?と聞かれると、「この会社を大きくしていくこと」ですね。外国の方々に日本の企業で働いてみたいと思ってもらえる環境と、日本の企業が外国の方々を積極的に受け入れるための体制を、一つひとつ作っていきたいです。
ーEmunitasの事業には、どんな思いが込められているのでしょう?
幼少期をドイツで過ごしている間に、シリア難民がドイツに押し寄せる光景を目の当たりにしました。日本は平和な国ですが、世界を見渡せば争いの絶えない地域があり、争いによって苦しんでいる人々がいる。こういった世界の分断をどうやってなくすかが、僕と僕の会社の掲げる命題です。母国が異なる人たちも、同じゴールを目指して共に働けば、生まれ育った国への帰属意識だけでなく、企業への帰属意識も生まれ、仲間になっていくと僕は信じています。自社の取り組みが、分断をなくすきっかけになれば本当にうれしいです。
それから、ピーチ・アビエーション創業者の著書を拝読するなかで「私は戦争をなくすためにこの会社を経営している。LCCで若者たちがいろいろな国に行けるようになれば、世界中で友だちを作るはず。彼らは、友だちの住む国に爆弾を落としたいと思うだろうか?」という内容が印象に残っています。これはまさに真理だと思いました。僕は、僕にできることで世界をつなぐきっかけを作りたいと、自分の気持ちを再確認した体験でした。
内気で思いを伝えるのが苦手な幼少期。しかし、あるきっかけでリーダーにこだわるように。
ー子どものころはどんな子でしたか?
幼少期から長い間ドイツに住んでいて、砂遊びとレゴが大好きな子どもでした。レゴなんてもう毎日(笑)。スマホを持ち始めてからは日本に対する興味が湧いて、Yahoo!ニュースをずっと見ていた記憶があります。でも、周囲からはいじめを受けていた時期もありました。内気な性格で思いを伝えるのが苦手だったこともあり、つらい時期でしたね。
ただ、小5の頃に予期せぬ転機が訪れました。たまたまじゃんけんで負けたことから、生徒会長に任命されてしまったのですが、同時に周りからのいじめがなくなったんです。リーダーになればいじめられないんだ!という、少し歪んだ成功体験を得てからは、どんなときでもリーダー的なポジションにいようと決めて、実際にそうなるよう行動し続けてきました。
帰国して中高一貫の男子校に入ってからは、競い合うことを覚えたり、先輩や学外との接点を持ったりして、自分の変化を感じるようになりましたね。一方で、帰国子女という理由で2つあるうちの下のクラスに所属し、劣等感の強い子たちが集まった環境で過ごしていました(受験の成績でクラスが決まる仕組みでしたが、帰国子女は下のクラスと決まっていました)。でもある日、このネガティブな空気を何とか変えたい!とリーダー魂に火がついて(笑)。どうすればよりよくできるのかとあれこれ試行錯誤して、担任教師の担当科目で学年ランキング1位~10位を独占しようよ!とアイデアを持ちかけたこともありました。この頃から、自分が考え行動することで周囲のロールモデルにならなければと思い始めたような気がします。
たくさんの大人に出会い、いろいろな人生に触れられた経験が今につながっている
ー子どもの頃はどんな環境にいましたか?
父の会社の方々がしょっちゅう家に来ていて、たくさんの大人と関わる機会は幼い頃からあったと思います。小5の頃にはクリスチャンになって地域の教会に通うようになり、親も知らないさまざまなコミュニティと積極的に関わっていました。
習い事も、スキー、サッカー、水泳、工作、バイオリンなど、やりたいと思ったものはたくさんやらせてもらいましたね。特に、母の知り合いのジュエリーマイスターさんに、1対1で工作を教えてもらうのが好きでした。金属を加工して水に浮かぶ船を作ったり、設計図を書いてお菓子の家を作ったりして、すごく楽しかった記憶です。
ただ、習い事の内容よりも、習い事の先でいろいろな先生に出会えたことが、僕に影響を与えてくれたと実感しています。サッカーの元選手、さきほどのジュエリーの職人、ピアノと数学を同時進行で仕事にしている方など、会社員だけでない生き方があるんだと身近に感じられたのは財産だなと思います。型にはまらない価値観に触れたことで、こんな生き方があるんだ、こんな選択もできるんだと心が躍った、その時の体験一つひとつが僕の今につながっていると思います。
他者を応援したい。他者のためなら何でもできる。
その原動力は、人へのとてつもない関心。
ーこれまでさまざまな取り組みをされていますが、意思決定のポイントや、自分の軸は何だと思いますか?
「他者を応援できる人が応援される」という考えを大切にしています。自分のことを考えるのは苦手ですが、ベクトルが他者に向かうと「何でもできる!」と思えるんですよね。そういえば子どもの頃、幼なじみが友人に「ディズニーランドのキャストになりたい」と話しているのを耳にしたら、いてもたってもいられなくなって。すぐに図書館へ出向き、ディズニーにまつわる本を借りて「役に立つかもしれないから読んでみて!ハイ!」と手渡しました。頼まれた訳でもないのに…幼なじみもビックリですよね(笑)。
「助けたい」もそうですが、「愛したい」とも言えますね。愛するというのは、他者に対する努力や責任を気兼ねなく負うということで、そういった考えは自分の素地としてあると思います。そういったマインドや価値観が確立されたきっかけは?と問われたら、たくさんの人たちに支えられてきた多くの実体験なのかなと思います。
忘れられないエピソードを一つお話ししますね。中2のとき、社団法人の活動を続けるために寄付を集めたくて、ある企業からプレゼンの機会をいただいたんです。すると、「どうなるかよくわからないけれど、君を応援したいと思ったから」と、すぐに60万円を寄付してくださいました。その後もご支援は続き、寄付金はトータルで数千万円という信じられない金額に。見返りを求められることもなく、僕が仕事で失敗した際は、愛のあるお叱りとともに「いい勉強になったね」という励ましまでいただきました。14歳の少年と真剣に向き合ってくださったことは心底嬉しかったですし、自分が年を重ねるにつれ、あれはとんでもない出来事だったんだとあらためて実感しました。僕も誰かの応援をして生きていきたいという思いが、ますます強くなっていきました。
また、チャレンジの原動力は、人へのとてつもない関心です。相手がどんな人で、どんな能力を持っていて、どんな人生を歩みたいと考えているのか、常に興味があります。だからこそ、仲間を集めてこれまでの活動をしてきたのだと思います。
友人たちとの関わりを通して両親の価値観も変わっていった
僕の両親はサラリーマンの父と専業主婦の母で、基本的には「何でも自分で決めればいい」という方針です。とはいえ、起業や海外での高校進学については、当初心配もあったのか反対されましたね。それでも、きちんと話をしたら理解してくれました。それまで僕の活動の詳細はあまり話してこなかったので、よくわからないものに賛同するのは難しかったんだと思います。そもそも、僕のやっていることを部活の一環くらいに思っていたらしく、中3のときに受けたTVの取材を見て、初めていろいろわかったと言っていました(笑)。今振り返ると、当時反対してくれたからこそ、なぜ親の意向に背いてまでやりたいのか、やるならどこまで責任を負わないといけないのかを真剣に考えることができたので、結果的には感謝しています。
そんなふうに、以前は僕の考え方や仕事に戸惑っていた両親ですが、今では「自分で責任を取るなら、やりたいことをやればいいよ」という感じで応援してくれています。むしろ、両親の価値観が大きく変わったようなんです。きっかけは、高校2年生のときに家をリフォームしたタイミングで、お世話になっている経営者の方から紹介された知人を家に泊めたことです。その知人が2週間ほど滞在したのを皮切りに、ほとんど毎日2~3人の知人・友人が夕食を食べに来たり泊まったりするようになりました。その後我が家は、40人以上が自由に出入りするコミュニティハウスに変貌!仲間たちは拡張家族のような存在で、両親は娘や息子のように見守りながら楽しそうに関わっています。彼らの生き方を知ることで、人生の選択肢がたくさんあることを学べたそうです。
こうして多くの方々からいただいた愛と理解の深さには、感謝の念しかありません。そのご恩返しも込めて、会社をもっと大きくすることで世界の分断をなくし、社会に貢献していけたらと強く思っています。
インタビューを終えて
今回は、未来voiceならではの視点で、幼少期やご家族との関わり、これまでの意思決定の軸などについてたっぷりお伺いさせていただきました。幼少期の習い事は、そこでした内容より、出会った先生の生き方からを知れたのがよかったというお話や、人へのとてつもない関心が原動力であるというお話からは、人と人との関わりが、人生を豊かにするということを学ばせていただきました。そして、ご家庭では反対されながらもきちんと話し合い、ご友人との関わりを通してご両親自身も考え方を変えていったというお話も印象的でした。やはり、人と人との関わり、コミュニケーションが大切なのだと実感しました。貴重なお話をありがとうございました!
Written by Misaki Tokuta