私がここまで来られたのは、応援してくれる両親と、大好きなゲームという軸があったから

未来VOICE
2024.04.23

未来VOICEシリーズは、連載のインタビュー記事です。インタビューの対象は学歴・経歴不問、「好きなことを大切に」「今をイキイキと生きている」「若者」の3つに当てはまる人。そんなみなさんの今と子ども時代をひもとくことで、これからの教育を考えるヒントにしませんか?

第4弾インタビューはこの方!

えふぇこ

2003年生まれ、山形県出身。大学で計算機科学を学びながらクリエイターとして創作活動をしている。高校生のときに出場したゲーム開発の全国大会「Unityインターハイ2019」で準優勝。みらいキャンパスでは「ゲームの裏の算数を解明! 今日からキミもゲームクリエイター」で講師を務めた。

大学生をしながらゲームクリエイターの活動も!

ーー大学生をしながらゲームクリエイターとして活動をしているとのことですが、大学ではどんなことを研究しているのですか?

私は現在先端メディアサイエンス学科に在籍していて、人とコンピューターとの関わりについて研究しています。研究分野をより詳しくいうと、「表現支援」です。表現支援は、表現を何らかの形で支援することですが、その手法の1つとして「人間だけでは発想できない表現をコンピューターで見つける」というのが、私の研究の軸です。

たとえば、俳句は五七五の五十音の組み合わせですから、解は有限とみなせますよね。実際、俳句の全パターンを網羅しているサイトがすでにあります。このサイトにはかつて松尾芭蕉が詠んだ句もあれば、10年後に誰かが詠むかもしれない傑作も含まれていて、この網羅性こそがコンピューターのすごさです。

といっても、コンピューターはプログラミングをしない限り、俳句の価値を判断できません。価値観と判断力を持った人間と、コンピューターの網羅性を掛け合わせれば、人間の発想の外にあるもっとよいもの、新しいものを探し出せるのではないか、という考えで研究を進めています。

最近行った実験では、「カメラアングル」に焦点を当てました。まず、石像を真ん中に置き、人にカメラで写真を撮ってもらい、その中からよいと思うものを選んでもらいます。次に、コンピューターが網羅した全写真をその人に見せます。すると、「こういう視点もあるんだ」「こっちの写真の方がいいかも」という発言が出てくるんですよね。その写真こそが、その人1人では発見できなかった表現です。このような要領で、人間とコンピューターの共同作業の中に知見を見いだすことを研究の目的としています。

ーー大学はどのように選んだのですか?

私が高校生のときに出場したゲーム開発の大会の懇親会に、同じ高校だった先輩も大会のOBとしていらっしゃっていて、「うちの学科はすごいよ!面白いよ!」と聞いたんです。そこで、気になってその学科のオープンキャンパスに行ったところ、学科長の話にとても感動しまして…。「もうここしかない!」と、一目惚れで第一志望にしました。受験方式は総合型選抜(AO入試)です。過去のゲーム開発の大会で作ったものを提出し、プレゼンと面接を経て合格しました。

ちなみに、私が感動した学科の話というのは、「今話題になっているVRは、すでに1960年代に発明されていたもの。コロナで話題になった”テレワーク”も、じつは2000年代より前に研究が始まっていた。今、新しいとされているものは、結局のところずっと前から研究されていたもの。我々が研究しているのは、何十年も先の先端技術で、その研究の場こそ、我が学科です」というような内容で、私は「おおっ!」と衝撃を受けました。現在はその学科長が私のゼミの担当の先生です。ご縁ですね。

ーーゲームクリエイターになったきっかけは何ですか?

中学生のときに「東方Project」のシューティングゲームを見て、「私もこういうのをやってみたい!」と思ったのが直接のきっかけです。とはいえ、中学生のときはうまくいかなくて挫折しました。その後、高校1年生の冬くらいから、ネット上の解説動画を中心に独学で本格的にプログラミングを始めました。

もっとさかのぼると、私は小さいころからキャラクターを考えたりお話を作ったりするのが好きで、中学生の頃は小説っぽいものを書いて友だちと見せ合ったりしていました。ゲームも好きだったので、「いつかゲームを作ってみたいな」とずっと思っていたんですよね。

実はヘコむことも。それでも続けたい、ゲームづくり

ーーゲームクリエイターの活動はどんなところが楽しいですか?

誰かが遊んでくれる、というのもまたうれしいです。

とはいえ、ゲーム作りはやることが多岐に渡っていて、本当に大変です。構想を決めたら、あとはひたすら作るパートです。具体的には、プログラミング、グラフィックやイラストの作成、効果音の作成、その他必要な素材探しなど、全て1人でやる必要があります。完成まで、何が足りないのかをひたすら洗い出して実装します。「まだ足りない」「また洗い出す」「そして実装」をずーっと繰り返す感じです。

先週もあるイベントのためにゲームを作りましたが、正直、納得のいくものに仕上げられませんでした。挫折、とまではいえませんが、今少しヘコんでいます…。過去にもそんな経験がありますが、そういうときはゲーム作りをいったん脇に置き、ゲームから離れて、イラストの練習といった別のことをがんばろう!と思うようにしています。

また、ゲームクリエイターあるあるかもしれませんが、ときどき「このゲーム、本当に面白いんだろうか病」にかかったりもしています(笑)。私はどうしてもストーリーやキャラの表現に重点を置きがちで、ゲームとしての面白さを追求するところにハードルの高さを感じてしまいます。といっても、よいアイデアを思いついたときはとてもうれしくて、この気持ちだけでしばらく走り続けられる!と思いますね

小さい頃からつくることが好き!勉強も創作活動の土台に

ーー子どもの頃はどんな子でしたか?

一言でいうと真面目な委員長タイプでした。人前に立つのが好きで、学級委員長や合唱コンクールのクラス委員などによく立候補していました。勉強はどの科目もそれなりにできるほうでしたが、運動はめちゃくちゃ苦手でしたね。

妹が1人いるのですが、私が幼稚園生くらいのときから2人でポケモンの指人形を使って遊んだり、ポケモンのキャラになりきって遊んだりしていました。学校の友だちと外で遊ぶタイプではなく、家のピアノでアニソンやボカロを弾いたり、図書館で折り紙の本を借りてきていろいろなものを折ったりしていた記憶があります。妹の誕生日にはポケモンのぬいぐるみを自作して、プレゼントしていました。工作、音楽、お絵描きなど、つくること全般が好きだったんだと思います。母によると、3歳くらいから家のパソコンに触っていたそうです。

ーー勉強は得意でしたか?

得意教科は算数や数学で、国語も好きでした。勉強とゲーム作りは密接につながっていて、どの科目の知識もゲームに活かせるんですよね。たとえば、数学はプログラミングで頻繁に使いますし、プログラムのコードは英語がベースですし、ストーリーを書くときは国語の語彙が活きてきます。ほかにも、「こういう地形だったら現実ではこういう気候だから、フィールドのビジュアル環境はこうしよう」など、地理の知識も活かせると思います。発想は知識を元にして生まれますから、ゲーム作りに勉強は不可欠だと思います。

ーー小さいころの夢は?

海洋学者になりたいと思っていました。というのも、小1のとき、夏休みの自由研究一覧というのを見て、「これやりたい!」と思ったテーマが「海と魚」でした。魚のうろこを数える研究をしたのですが、その研究で賞を取ったんですね。受賞したおかげで、その後、海洋研究をしている偉い先生方に会い、話を聞いているうちにどんどん興味が膨らんでいきました

小学校に上がる前も生き物が好きで、本棚にあった母のおさがりの生物図鑑を眺めたり、本屋さんで父に古代生物の図鑑を買ってもらったりして、それをよく見ていました。

「好きなことを好きなようにしなさい」 応援してくれた両親がいたからこそ見つけた軸

ーーご家庭はどんな教育方針でしたか?

勉強や成績についてあれこれうるさく言われた記憶はあまりないですし、特に中学生以降は、好きなことを好きなようにやりなさいという感じでした。中学受験をしたのですが、それも私が受験したいと言ったからで、両親から反対されたり、何かをうるさく言われたりした記憶はないですね。中学受験をした理由は2つあって、1つは憧れていた先輩がその中学校に行ったから。もう1つは、自分が行く予定の公立中学校にはパソコン部がなくて、行きたい中学校には科学パソコン部があったからです。

ーーご両親に感謝していることは何ですか?

実は私、高校進学後にメンタル面での不調があった時期がありました。というのも、高校入学のタイミングで東京に引っ越しをして、環境が大きく変わったり、入学した高校が進学校で、課題が多くてストレスを感じたり、入りたかったパソコン部が見つからなくて入部できなかったりと、いろいろなことが重なってしまいまして…。そんなとき、両親は相談に乗ってくれたり話を聞いてくれたりと、能動的にケアしてくれて、「やりたいことをやろう」と言ってくれました。そのときのことは、今でもとても感謝しています。自分自身も「やってみる」ということを大事にして、みらいキャンパスで講師を務めた際は、子どもたちの発想や、やってみたいという思いを否定しないようにしていました。

そんな高1の一時期があったからこそ、私はコンピューターやゲームが大好きだということを再認識しました。それを機に、ゲーム開発の大会にも出て、大会に出たからこそ先輩に会って、今の大学を知って、教授とも出会えて…。と考えると、全てがつながって今があるように思います。

正直、ゲームクリエイターとして私のレベルが高いとは全然思いませんが、大好きなゲームという軸があったからこそ、自分の興味関心がいろいろな方向に伸びていき、たくさんの熱中できるものに出会うことができました。なので、これからもゲームを軸にして、創作活動を続けていきたいと思っています。

ーー貴重なお話ありがとうございました!

インタビューを終えて

大学で行っている研究について、目を輝かせながら活き活きとお話をされているのが印象的でした。みらいキャンパスで講師を務めた際も、子どもたちを否定せず「やってみよう」と促してくれていたのは、ご両親の「やりたいことをやろう」という姿勢が影響しているのだと感じました。苦しい時期があったからこそ、自分の好きなことを再発見できたというお話も、自分と向き合うことの大切さを教わりました。貴重なお話をありがとうございました!

Written by Noriko Arai(みらいキャンパス 共創ディレクター)

一覧へもどる