新1000円札の北里柴三郎がよくわかる講座を開講!

みらいキャンパス物語
2024.08.15

20年に一回の紙幣リニューアルを迎えた今年。新しいお札の顔にはもう会えましたか? みらいキャンパスでは、この夏、新千円札の顔となった、北里柴三郎博士について学ぶ講座を開講します。そこで、博士のひ孫で北里柴三郎記念館館長の北里英郎さんに博士についてお話を聞きました。英郎さんのお話から浮かび上がる、偉大な医学者の人間味に溢れた魅力的な人となりをご紹介します!

まずはちょっとおさらい。北里柴三郎って、何をした人?

北里柴三郎博士は、世界的な細菌学者として知られた医学者です。破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功し、その毒素を用いた血清療法により、当時、唯一の感染症と戦う術を見出しました。この血清療法によりジフテリア患者の多くの命を救い、現在でも唯一の蛇毒などに対する治療法とされています。さらに、謎の伝染病の病原体・ペスト菌を発見するなど、歴史的な業績には枚挙にいとまがありません。また、感染症の予防に関して、伝染病予防法などを制定するなど、今日の日本の公衆衛生の基礎を築きました。

北里柴三郎博士57歳の時(写真提供/学校法人北里研究所北里柴三郎記念博物館)

ひ孫の北里英郎さんに聞く、北里柴三郎の人間力とは

北里柴三郎博士は、偉大な功績を残しましたが、常に人を救うこと、医学の発展を第一に考えて行動した人物としても知られています。そんな博士のことを、ひ孫である北里英郎さんはどう見ているのでしょうか。

―――新千円札に柴三郎博士の肖像が採用されたことを、英郎さんやご親族はどのような思いで受け止めてらっしゃいますか?

英郎さん
柴三郎の功績が認められたということですから、もちろん皆たいへん喜んでいます。千円札の肖像は、明治時代に活躍した医学系の人物で、国民に大きな貢献をし、誰もが知っていることが大前提だそうなので、柴三郎が選ばれたのは心から嬉しいことですよ。

※1000円札図版出典:国立印刷局ホームページhttps://www.npb.go.jp/

―――英郎さんから見て、お札の肖像は実際の博士の雰囲気と似ていますか? 一般論ですが、似顔絵は実物に近しい人が見ると、なんだか印象が違う場合もあります。

英郎さん
いやいや、よく似ていますよ。しかし、肖像の元になっている写真そのものは存在しません。複数の写真を組み合わせて国立印刷局の工芸員の方が描いたものなんです。もし1枚の写真そっくりだったらトレースされてしまうかもしれませんから……偽造防止の一策ですね。肖像は研究者としていちばん脂が乗っていた五十代後半の姿です。食べることが大好きな美食家だったので、晩年はでっぷりとしていましたが(笑)。お蕎麦を手にニヤリと微笑んでいる写真が、唯一残っている笑顔の写真なんですよ。

――――美食家とは意外です。活躍した分野や功績からすると、いかにも学者らしい雰囲気をまとった温厚な性格だったのかなと想像しますが、実際には、どんな人だったのですか? 

英郎さん
門下生たちは、柴三郎のことを「カミナリおやじ」と呼んでいました。直々に教えを受けた門下生は300人以上、講義を受けた人は数千人いますが、研究や学問に関してはたいへんに厳しく、すぐにカミナリを落とす柴三郎を皆慕っていました。カミナリおやじではありましたが、研究所の所員たちをとても大事にしていて、たとえば誰かがミスをすると、その場ではカミナリを落としても、外部に対しては「すべて自分の責任である」と言う人だったので、信頼されていたのでしょうね。柴三郎の信条に「人を任じて人を疑うことなかれ。疑いて任ずることなかれ」というものがあります。門下生や志を同じくする仲間を大事にしたのはそういうわけです。それから懐が広いところもあり、柴三郎の指導で赤痢菌を発見した志賀潔に、論文には自分の名前を入れなくてよいと言ったことにも、それが表れていると思います。

―――門下生や同志と博士は、強い信頼関係で結ばれていたのですね。博士が国の管轄組織とぶつかって、新しい研究所を一から立ち上げ直す事態になったときは、ほとんどの研究員がついていったそうですね。

英郎さん
3分の2の研究員が柴三郎についていきました。柴三郎は実学の精神を重んじ、「世の中の役に立たない研究をやっているのは暇人である」というようなことを率直に言ってしまう人だったので、人とぶつかることも多かったのです。ただし、相手によって態度を変えることはなく、ぶつかったとしてもその場だけで後を引くタイプではありませんでした。裏表のない、まっすぐな性格だったのです。体も丈夫でしたよ。研究には根気と体力が必要ですから。

―――体力は子どもの頃から旺盛だったのですか? どんな子ども時代だったのでしょう。

英郎さん
子どもの頃は、腕っぷしが強くてケンカで負けたことのない、たいへんな腕白(笑)。いじめられている子がいれば助けに駆け付け、年下の子を引き連れて魚捕りに行ったりする、いわゆるガキ大将ですよ。だけど弱い者に心を寄せる優しいところがあって、それは大人になっても変わりませんでした。故郷である熊本県の小国に子どもたちのための図書館を建て、縁のあった静岡県伊東市では、児童が通学に必要な橋を2回も寄贈しています。自分の経験から、人生を切り開くためには学びや教育がいかに大切であるか確信していたのでしょう。

北里柴三郎博士の生家(写真提供/学校法人北里研究所北里柴三郎記念博物館)

―――柴三郎少年も、9歳から父方の叔母に預けられて大伯父から儒学を学び、10歳から今度は母方の祖父に預けられ、当時は珍しい、身分に関係なく入塾できた私塾にて、漢文と国文を学んでいます。腕白な少年に学びの道を開いたのは……

英郎さん
柴三郎の母の貞です。おそらく貞は、明治維新の新しい風を感じていたのではないかと思います。つまり、生まれや身分にとらわれず、自分の道を切り開く時代が来るのではないかと。武家の出身である貞は、強さと厳しさをもち、忍耐強い女性だったと聞いています。一方、父の惟信は、穏やかでたいへん几帳面な性格だったようです。柴三郎の厳しさや忍耐強さは母譲り、実験記録の細やかさや研究環境を適正に保つ几帳面さは父譲りだったのかもしれませんね。

―――聞けば聞くほど、柴三郎博士の人物像に魅了されます。意外なお話や驚きもたくさんありました。ドラマチックなエピソードもまだまだたくさんありそうですね。貴重なお話をありがとうございました。

今回お話をしてくれた北里英郎さんは、自身も曾祖父と同じ医学博士で、二十数年にわたり大学で教鞭をとった教育者でもあります。新開設の講座では、ピカ先生の愛称で親しまれる木村光太郎さんが、英郎さんに取材した内容などをもとに、柴三郎博士のたどった探究の道や成し遂げた偉業を、魅力的な人となりを交えてご紹介します。紙の上に収まった歴史的な人物がいきいきと動き出すような瞬間を、お子さまが歴史に興味を持つきっかけにしてみませんか。

(北里英郎さんプロフィール)

北里柴三郎記念館館長
北里英郎さん
医学博士。1987年慶應義塾大学大学院医学研究科博士課程修了。ヒトパピローマウイルスの研究を行う。聖マリアンナ医科大学、北里大学医学部などを経て、北里柴三郎記念館館長に就任。

■みらいキャンパス「史上最強の伝染病から日本を救った男」

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