始まりは学校で作ったパフェ。「おいしさ」をひたすらに探究する経営者兼研究者の意外な子ども時代とは?
未来VOICEシリーズは、連載のインタビュー記事です。インタビューの対象は学歴・経歴不問、「好きなことを大切に」「今をイキイキと生きている」「若者」の3つに当てはまる人。そんなみなさんの今と子ども時代をひもとくことで、これからの教育を考えるヒントにしませんか?
第7弾インタビューはこの方!
長内 あや愛(おさない あやめ)
1996年生まれ。14歳からAmeba official Blog「14才のパティシエは今食文化研究家」を毎日更新。食文化研究家/慶應義塾大学SFC研究所上席研究所員、株式会社食の会 代表取締役、フェルメクテス株式会社 共同経営者、Kin-pun ブランドプロデューサー、東京MX堀潤Live Junctionコメンテーター。一貫して「食」の分野で活動中。
食への探究心の始まりは、小学校のクラブ活動で作ったパフェ。
ー現在は、2つの会社の経営者、食文化研究家、コメンテーターなど、「食」の分野で幅広く活躍されていますが、食に興味を持ったきっかけは何でしょうか?
幼い頃から手芸や料理が好きで、高学年になって家庭科クラブに入りました。ある日のお菓子作りでパフェを作ったときに、「おいしいけれどちょっとつまらない、食材を順に載せていくだけでなく、もっと難しいものを作りたい」と感じました。自分に何が作れるのかと好奇心も湧いてきて、母にお菓子作りの本を買ってもらい、家で毎日作るようになりました。そのうちに「お菓子って自分で作れるんだ!」「自分で作ればいっぱい食べられるじゃん!」と気付いてしまって、ますますのめり込むようになりました(笑)。あの体験は大きなきっかけでしたね。
ーひたすら食の世界を突き詰めていく日々。その情熱はどこから来るのでしょうか?
もともと食べることが好きなので、食に関わる仕事に就きたいとは常々思っていました。でも私にとっては、シェフになる、パティシエになる、食品メーカーの会社員になるといった職業の選択や就職が、なぜかしっくりこなかったんです。今はまだ世の中にない、誰もやっていない仕事を食の世界でゼロから作りたい。じゃあ食の分野のどんなことが仕事になる?どんな仕事をしたら楽しいと思える?などと具体的に自分に問いかけ、長い間考え続けました。
そのうちに、料理やお菓子を作ることはもちろん好きだけれど、その背景にも興味が湧いてきました。たとえば、「おいしさ」って正解があるようでないと思ったんです。一流シェフが手がける料理はもちろん素晴らしいけれど、小学生の頃に自分で作ったパフェの味も忘れられない。ということは、思い出や記憶もおいしさの一部であり、私たちはストーリーも含めて五感で食べ物を味わっていることに気付いたんです。
ー概念も含めてまるごと食を楽しむ方法や、ストーリーを五感で味わう方法を追求したくなる、具体的なできごとがあったのでしょうか?
14歳の頃に起きた東日本大震災です。両親が福島県でスキースクールとペンションを経営しており、父が単身で福島に住んでいて私は母や弟と一緒に、平日は東京で、土日や長期休みは福島で過ごすという2拠点生活を送っていました。
震災が起きたとき、私たち家族は福島のペンションに避難民の方々を受け入れて、炊き出しをしました。でも、それぞれのご事情がおありだったのか、みなさん多くを食べ残してしまわれて…。もったいないな、悲しいなと子ども心に感じつつ、それでもやっぱり何とか食べていただきたいともう一度奮起して、限られた食材を工夫しながらクッキーを作ってみました。そうしたら、今度は涙を流しながらおいしいおいしいと完食してくださったんです!とってもうれしかったです。そして、日常と健康を守るための3度の食事だけでなく、クッキーのような嗜好品も人の心を癒す大切な食の1つなんだと気付くことができました。
食材や料理に思いが添えられると、おいしさは変わる。そのおいしさってどうしたら生み出せるんだろう?そんな興味がこの経験を機に湧き始めて、今もその延長線上で答えを探している感覚です。
「やりたいことは全部やってみる!」後悔しない選択ができているという自信
ーこれまでユニークな活動を数多くされていると思いますが、どのように意思決定をされてきたのですか?
とにかく「やりたいことは全部やってみる!」という気持ちを大切にしています。たとえば、大学院への進学と同時に飲食店を開業しました。学業と仕事のどちらかを選ぶという考えはなくて、どちらも今やりたいから同時にやろう、やらない理由はない!というのが基本スタンスになっています。経済的に厳しい時期もありましたが、大学と大学院は奨学金を活用して、思った通りに突き進むための解決策を都度見つけながら進んできました。
そういえば、中学生や高校生の頃も、学校に行きながら資格を取得したりパティシエの方にご指導いただいたりしていました。やりたいことを同時にやらないと気が済まないのは、昔からかもしれません(笑)。
ーこれまで悩んだり、迷ったりしたことはありますか?
日々悩みながら進んでいます。ただ、マイルールに定めているのは「悩むテーマを決める」ということです。何でもかんでも悩みとして抱えるのではなく、悩みを取捨選択して悩むべきことには時間をかけ、不要な悩みには時間を使わないという持論を実践しています。この思考のおかげで、常に自分にとってベストな選択ができているという自信がありますし、自己肯定感もしっかり持てています。ここまで自分を認められるのは、両親が常に応援してくれるタイプだったことも関係していると思います。
何をやるかは自分で意思決定して、そのために知りたいことは徹底的に調べて学ぶ。だから成功であろうと失敗であろうと、全ての結果は自分に返ってくると受け止めています。チームで協力して取り組むというより、自分のやりたいことは自分の好きなように突き詰め、その代わり責任も自分できっちり取るタイプですね。
子どもの頃は、周囲とあまり話をしない静かなタイプ。学校生活は得意ではなかった。
ー子どもの頃はどんな子でしたか?
周囲とはあまり話をせず、静かに過ごしていましたね。自分の考えや意見は心の中にしっかりありましたが、それを外に発信することは少なかったです。学ぶことは好きなので、授業は真面目に聞いてやるべきことはやりますが、挙手は絶対しなかったです(笑)。先生に自分の意見を伝えたところ、結果的にもめてしまったという経験もあるので、高校3年生まではとにかく目立たないようにしていました。学校やクラスの中で上手に立ち回らなきゃ、先生にも従わなきゃ…といった空気感も窮屈に感じていました。
ー積極的に活動されている現在の姿とは正反対のように感じますが、ターニングポイントはあったのでしょうか?
基本的な性格が大きく変わった訳ではないと思います。ただ、大学生になったら、それまで静かに蓄えてきた力で思いきり羽ばたいてみたいと思っていました。高校生までは、「型がどんな位置づけなのか」「そもそもその型は正しいのか」そういった疑問は心の奥に留めていました。その代わり、自分の中にある探究心を燃やして、必要だと思う学びをどんどん深めることにパワーを使いました。大学入学後は、自分の考えをオープンにできました。特にSFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)は自由な環境で私らしく過ごすことができたので、楽しかったです。
子どもの頃、かっこいい大人にたくさん出会えたことが今につながっている
ー習い事は何かされていましたか?
経済的な問題や、東京と福島という距離の問題もありましたが、やりたいという私の気持ちがにじみ出ていたのか、ピアノ、英会話、プール、テニス、茶道、バレエ、お料理教室、有名パティシエに直接習いに行くなど、振り返ればいろいろと挑戦させてもらいましたね。
中学生の頃パティシエの方に直接指導していただいたのは、子ども向けのお料理教室では物足りなかったからです。家で毎日作っていたので、ある程度何でも作れるようになっていたんですよね。だから、大人に交じって本格的なお菓子づくりを学ばせてもらいました。今思えば「習い事って楽しいよね」で終わらず、知りたいことや学びたいことをしっかりと掴み取る実感や、探究した成果を確実に自分の力にしたいという気持ちが強かったんだと思います。
早く一人前になりたいと、生き急ぐような感覚もありましたね。それは、両親が自営業で、懸命に働く姿を間近で見ていたからかもしれません。私も早く働けるようになって二人を助けたい、お料理を作れるようになって少しでも力になりたいと、ずっと願っていました。
ー子どもの頃の経験が、今につながっていると思うことはありますか?
世の中で仕事を頑張っている「かっこいい大人」に、たくさん出会えたことでしょうか。両親が経営するペンションのお客さまが、自分の職業に信念ややりがいを持って取り組んでいるというお話をしてくださって、私にはどのエピソードも大変魅力的な内容でした。そのおかげで、私もやりたいことを精一杯やって生きよう、かっこよく働く大人になろうと、目の前が明るく開けていきましたね。チャレンジ精神もますます旺盛になり、誰とでも自然に関われるスキルが身についたのも、この経験があったからこそです。
やりたいことをいつも応援してくれた両親への感謝
ーご両親との関わり合いや教育方針はどのようなものでしたか?
基本的にやりたいことは何でもやらせてくれて、できないことがあるときは、なぜできないのかをきちんと説明してくれたり、「これはどう?」と代替案を提示してくれたりしたので、納得感は常にありました。頭ごなしにダメだと否定されたことは、今までに一度もないです。
ー子どもの頃の関わり合いで、ご両親に感謝していることや今だから言えることはありますか?
自宅と職場の区別がほとんどない生活でしたから、家族のプライベートな時間も少なく、大人に気を遣う場面が多かったように思います。だから、今でも両親から「のびのびと過ごさせてあげられなかったのでは?」と心配されますが、全然そんなことはないです。自営業かつ東京と福島の2拠点生活という独自のライフスタイルだったからこそ、好奇心や成長欲、何事にも挑戦できる体力が身に付いたので、むしろ感謝しているくらいです。現在経営している2つの会社で、文系的視点と理系的視点の両面からアプローチできているのも、子どもの頃に都心と地方という異なる環境で暮らした原体験がベースになっていると感じることもあります。
探究したい気持ちを我慢せず、楽しむことを諦めない生き方を
ー子どもたちへ、メッセージをいただけますか?
1つ目は、「気になることを探究したい」「人と違うことをやってみたい」そんな気持ちを抱いているのなら、我慢せずに取り組んでほしいということです。日常を幸せに過ごすためには、人に合わせることも大切ですが、人と違うのは悪いことではありません。人との関わり方や人との違いの出し方は、自分にとってちょうどいいポイントを探りながら見つけてほしいと思います。私の場合は、14歳からブログを書き始めたことが心のよりどころになったと感じていますよ。
2つ目は、楽しくなる可能性があることを諦めないで欲しいということです。私自身も学校生活を窮屈に思うことが多かったので、学校が苦手だなと思う子がいるならその気持ちはよく分かります。でも、もし今の自分が小学生の自分にメッセージを贈れるとしたら、「学校が楽しくなる可能性をゼロにしない方法もあるかもしれないから、辛いことがあっても諦めないで」と伝えたいです。小さくてもいいから楽しみの芽が見つかれば、新しい毎日が始まるかもしれません。
インタビューを終えて
14歳から毎日欠かさず食に関するブログを更新しているという話を聞いて、食への探究心や情熱はどこから生まれているのだろう?と興味を持ちながらインタビューさせていただきました。長内さんのお話を伺って、小学生の頃に抱いた「もっと難しいパフェを作ってみたい!」というような、「純粋な好奇心」を持ち続ける心が大切なのだと思いました。そして、ご両親との関わり方や、その環境下で「かっこいい大人」にたくさん出会えたことが今につながっているというお話は、大人との関わりが子どもに与える影響の大きさや重要性を感じました。みらいキャンパスも、「かっこいい大人」に出会える場として、子どもたちの居場所にしていきたいと思います!
Written by Misaki Tokuta