「好き」「得意」を極めて仕事に!立体紙切師の子ども時代とは?

未来VOICE
2024.01.24

未来VOICEシリーズは、連載のインタビュー記事です。インタビューの対象は学歴・経歴不問、「好きなことを大切に」「今をイキイキと生きている」「若者」の3つに当てはまる人。そんなみなさんの今と子ども時代をひもとくことで、これからの教育を考えるヒントにしませんか?

第2弾インタビューはこの方!

辻 笙(つじ・しょう)
2001年生まれ、大阪府出身。小学4年生のときに切り絵に出会い、独学で平面から立体に進化させ、下書きなしでのパフォーマンスで子どもから大人まで、見るものを驚かせる。2020年、立体紙切師としてデビュー。NHK Eテレ「沼にハマってきいてみた」、フジテレビ めざましテレビ「キラビト!」、映画「かば」(良太役)出演など、メディアからも注目を集める。「人を笑顔に」をモットーにした活動を続けている。岸和田市立浪切ホールアンバサダー。
立体紙切師 辻 笙のサイト:https://tsujitsuma.amebaownd.com

立体紙切師として活動中!

ーー現在どんなお仕事をされていますか?

一枚の紙をはさみで切ってリアルな動物を作り出す立体紙切師がメインの仕事です。具体的にはイベントに出演してパフォーマンスをしたり、学校や公共施設に行って子どもたちを対象にしたワークショップの講師をしたり、作品の展示や販売といったアーティスト活動もしています。

目の前で子どもたちに作ってほしいものをリクエストしてもらって、その場で立体の切り絵を作ると、子どもたちが目をキラキラさせるんですよね。その様子を間近で見るのがうれしいし、その後、作った立体の切り絵で子どもたちが楽しそうに遊んでいるのを見るのもうれしいです。

偶然から生まれる、好きや得意との出会い

ーー切り絵って珍しいと思うのですが、切り絵を始めたきっかけは何ですか?

小4のとき、キャンプ中に雨宿りをするためにたまたま入った昆虫館で、初めて切り絵に出会いました。昆虫館の壁に昆虫の切り絵が貼ってあって、どれもすごくリアルで興味を持ったんです。「これ、僕も作ってみたい!」と母に言ったら、母が「だれが作りはったんですか?」とすぐに館内の人に聞いてくれて。そうしたら作者である館長さんが作り方を教えてくれたんです。

その館長さんのスタイルが「下書きはせず、紙を半分に折ったら、後は生き物の図鑑や写真を見ながら、想像を頼りに切る」というものだったんですね。同じはさみで切っても、母と自分が作った完成品が全然違ったり、最後に開くまでどうなっているのか分からなかったりするのも面白くて、すっかりハマりました

ーー今の技術を身に付けるまでに、たくさん練習しましたか?

う~ん、「練習した」という記憶はなくて、好きだからとにかくいろいろなものをたくさん作っていた、という感じです。もともと図形の問題が得意で、展開図を想像することは苦労なくできたんですよね。最初に切り絵に出会った昆虫館で、教えてもらっていないのにカマキリを作ったときは、館長さんに「すごいなぁ、キミ」って褒められました。実はそのとき、子どもながらに「お、これはオレの得意になるかも」なんて思いましたね(笑)。

高校生くらいからは作るものをその場でリクエストしてもらって即興で切り絵を作る機会が増えたのですが、たとえば「ネコ」でも、何回も何回もリクエストされて作っているうちに、だんだんブラッシュアップされてくるんです。そうやって今の姿に至っていて、今後もブラッシュアップされると思います。

夢中になって突き詰めた”好き”!

ーー子どもの頃はどんな子でしたか?

物心ついたときから絵を描いていました。朝起きて絵を描いて、保育所で絵を描いて、家に帰ってからも絵を描いて…四六時中、絵を描いていましたね。好きなのは生き物全般で、特に恐竜や怪獣が大好きでした。小学生になってからは、絵だけではなく、セロハンテープや針金など、いろいろな素材で自由に創作していました。苦手なのは漢字!自由がなくてとにかく覚える、みたいなのはダメでした。運動も苦手やったなあ。

ーー習い事はしていましたか?

「友だちが通っているから」という理由で、小学校低学年の頃はスイミングに通いましたが、水泳も苦手で、下から3つ目のナマズランクで終了。その後、友だちに誘われて通い始めた地元の子どもアート教室に週1回、市主催の演劇スクールに月2回のペースで通うようになりました。演劇スクールに通っている人は自分より上の年代が多かったのですが、年上の人と話をするほうがラクだし自分を出せたように思います。昔から一人で黙々と作業するのが好きだったんですよね。だから昼休みに「みんなで校庭に出てドッジボールする」とかがすごくイヤで、中1の1年間は1回も校庭で遊ばなかった記憶があります。

「笙くんはみんなと違うし、昼休みも違うことをやっているからそっとしておこう」という空気がある一方で、周りと違い過ぎるからか、いじめられたこともありました。その頃の自分にとって、大切な居場所は習い事のアート教室やドラマスクールで、そこでは自分を解放できたし、たまった思いを吐き出すこともできました

大人との出会いから広がった興味

(笙さんのお母様にインタビュー)
ーー子育てはどんなことを意識していましたか?

笙が興味を持っていることは、何でも体験させてあげたいと思っていました。たとえば旅行なら「笙は生き物が好きだから、動物園があるところに行こう」とか、「笙はきっとこの人に会ったほうがいい」と思ったら、絵本作家の長谷川義史さんや荒井良二さんのライブペイントに連れていくとか、気付けば自然と「笙に好きなものを見せるツアー」、「笙が喜びそうな大人に会わせるツアー」になっていましたね。後は逆に、笙が乗り気じゃないことは無理強いしないようにしていました。小学校の面談のときには、先生から「笙くんは昼休みに校庭に出ないんですよ。集団での学びも経験させてあげたいんですが…」と言われたことがあります。まったく心配しなかったといったらウソになりますが、でも「そうですか~、本人に言っておきますね」と流しつつ、無理に合わない人とかかわる必要はない、と思って本人には言いませんでした。

高校から大学に進学するときは、親子で各地の芸大のオープンキャンパスに一緒に出かけて、とても楽しかったですね。「この学校はここがいい、ここはいまいち」なんて、あ~だ、こ~だ言いながらふたりで回って、まるで小旅行でした。息子とは好きなものが似ていることもあって、「今、面白そうなもんやってんで~」「おお、いいなあ」ということが多いんです。むしろ私のほうが楽しんでいましたね。

学校以外の居場所で、自分らしくいられることもある

ーー今だから両親に言えることはありますか?

少し照れくさいですが、ひと言で表すと「感謝」です。両親がありとあらゆるところに連れ出してくれて、僕にたくさんの引き出しを作ってくれました。いろいろな経験の全部が今の自分につながっていると思います。そして、いじめられたときは、両親ともに「学校だけが全てじゃないで。いろんなところに笙の味方がたくさんおるで。」と言ってくれたのはうれしくて、今でもよく覚えています。

未来へとつなぐ”居場所”

ーー今後の夢や目標はありますか?

具体的な近い目標としては、2024年4月から始まる子どもアート教室の先生の仕事を頑張りたいと思っています。このアート教室というのは僕がかつて通っていた教室なのですが、実は僕の先生だったかたが引退することになり、僕を後継者として指名してくれたんです。教室を見学して、制作に集中している子どもたちを見ると、自分も同じやったな、と思うのと同時に、周りと遮断されて黙々と創作できる場って、必要としている子たちにはすごく必要だと思うんです。僕自身がすごくこの場に救われたので、今度は僕がこの場を作っていきたいと思っています。

ーー貴重なお話ありがとうございました!

インタビューを終えて

小4で偶然出会った切り絵にハマり、仕事にまでしている笙さん。偶然に見える切り絵との出会いは、ご両親の「興味を持っていることは、なんでも体験させてあげたい」という思いがあったからこそだと感じました。また、周囲との違いに悩むことはあっても、アート教室や演劇スクールといった同じ”好き”を共有できる居場所と、温かい家族がいること、認めてもらえる場があることが、子どもたちにとってとても重要なことであると思いました。

Written by Saho Ishioka

一覧へもどる